さて、今回は100年続く柑橘農家の4代目である田中さんに
日本の柑橘生産の歴史を少し振り返り、深堀りをして頂きました。
日本のみかん生産は、戦後から1970年代前半まで、どんどん増加していったそうです。
田中さんの就農も70年代の半ばなので、丁度生産が最も盛んに行われていた時期です。
甘いもの=みかん。という位に家庭にはみかんがあり、作れば売れていった。そんな時代だったそうです。
所得上昇も後押しして、みかん需要が多く、西日本を中心にみかんの農地を拡大していく流れがあったそうです。
その後、他の果実(イチゴやメロン)の生産量が増えたり、果実の輸入が伸びた外的要因によって、みかんの需要は極端に減少していきます。
田中さんは代を受け継いでから市場が変わっていき、試行錯誤したと振り返って下さいました。
80年になると、みかん生産量はピーク時の半分以下になり、それ以降は需要の変化と共に緩やかに減少を続けております。
みかん生産減少の分、農家さんたちは他の柑橘を生産したり、全く別の果物や野菜に転換をしていったそうです。
田中さんもまた、他の柑橘生産にシフトしていった農家さんで、幅広い様々な品種を作ることにチャレンジしていったそうです。
2000年代に入ってからは、後継者不足という問題により柑橘生産量が減っている為、今後日本の農業を支えていく人材の育成・所得の向上が必要だと教えて下さいました。